「神仏にひれ伏す」
「教祖を崇める」
このような信仰のあり方に、私は疑問を感じています。
信仰という言葉には、
「神を仰いで信じる」という意味があります。
でも本来、神や仏は「外側にいる存在」ではありません。
自分の中に、神も仏もいる
「神」や「仏」は、自分の中にあるものです。
たとえば、仏教にある言葉
「自燈明・法燈明」
これは「自らを灯しなさい。法(宇宙の理)を灯しなさい」という意味。
つまり、神仏を外に求めるのではなく、
“空(くう)”という宇宙の真理を、内から灯していくことが本質なのです。
私たち自身が、意識を持ったエネルギー体であり、
すべてが繋がっていて、何一つとして独立していない。
それが「空」です。
お寺のご本尊が教えていること。
それは、「あなたの中に私がいる」というメッセージ。
神社の鏡が映しているもの。
それは、「あなた自身が神である」という真実です。
宗教が人の力を奪ってしまった
本来、信仰とは自分を信じること。
しかし現代の宗教は、こう言います。
- 神に祈りなさい
- 仏を崇めなさい
- お経を唱えなさい
- 功徳を積めば極楽に行ける
でも、本当にそうでしょうか?
今の宗教の構造は、
人から自信を奪い、運命を“外の力”に委ねさせる方向へと傾いています。
特別な力を持つ教祖など、存在しません。
もし奇跡的な現象が起きているなら、
それは“魔”による可能性が高いです。
大切なのは、
神仏を信じる前に「自分を信じる」こと。
自分の中にある力を信じること。
それが神仏を信じるということと、同じ意味になります。
宗教が私たちに植えつけたのは、
「自分は未熟な存在だ」という思い込み。
でもそれは間違いです。
私たちは、すでに尊い存在です。
私たちは、すでに成仏している
生きていることそのものが、すでに成仏です。
「◯◯家が自分の代で絶えるのは申し訳ない」
「お墓を閉じるのは先祖に申し訳ない」
こうした罪悪感は手放していい。
宇宙はワンネス。無縁仏なんていません。
みんな、有縁仏なのです。
戒名があるかどうか。
お墓があるかどうか。
子どもがいるかどうか。
それらは、本質ではありません。
死んでからの供養も大切かもしれませんが、
「自己供養」こそが、もっとも大切な供養だと思います。
「自己供養」
それは、生きている間に心を整えるということ。
それができていれば、
死後に供養されることを気に病む必要はないのです。
「空」であるという真理に立ち返るとき、
罪悪感も、執着も、恐れも消えていきます。
そして、私たちはようやく
「本当の意味で自由」になることができるのだと思います。
自分を信じること、それが祈り
「祈り」は、
神仏に頼ることではありません。
それは
「私、ありがとう」
「みんな、ありがとう」
この“ありがとう”の感謝の波動こそが、
宇宙とつながり、現実を動かす力になります。
最後に
私たちは、宇宙の意識と繋がったエネルギー体。
神仏とは、“自分の内にある”もの。
外に絶対的な存在を求めるのではなく、
“自分自身を信じる”ことが本当の信仰であり、祈りです。
Sealed with gratitude & LOVE❤️