詐欺師と神様〜自分に手を合わせる時代へ

宗教の話って、どこか怖い印象がありませんか?

私自身、これまで仏教を含めた宗教の在り方に、

違和感を抱いてきました。


なぜなら、

その多くが人を自己卑下させるような構造になってしまっているからです。

宗教を批判すると、


「バチが当たるんじゃないか」と思われる方もいるかもしれません。


あるいは、「宗教を批判するなんて危険だ」と感じる人もいるでしょう。

たしかに、宗教というものは長い歴史と人々の信仰の上に成り立ってきたものです。


ですが、私はこう思っています。

もし、その教えが“真理”であるならば、批判される必要がないのでは?

そして

批判に対して怒りや報復を向けるような教えは、本当に“真理”なのだろうか?

🔹外にばかり、力を求めてしまうということ

自己卑下が強いと、人はどうしても「外側の力」に頼りたくなります。


神様や仏様、ご利益、導いてくれる存在


もちろん、頼ることが悪いわけではありません。

でもその結果として、
「自分で解決する力がある」という感覚がどんどん薄れてしまうのです。

🔹宗教と祈りは、まったく別のもの

私は思うのです。


祈りとは本来、宗教的なものではないと。

「私、ありがとう」
「みんな、ありがとう」

このふたつこそが、もっとも純粋で美しい祈り。

「みんな」の中には、
家族や友人、通りすがりの人、過去の自分や未来の自分、
そして、目に見えない宇宙のすべてが含まれています。

🔹宗教のアレルギーは、宗教そのものが生んでしまった

なぜここまで「宗教アレルギー」が広がったのでしょう?

それは、宗教が「神仏にすがるもの」となり、
その信仰の仕方が固定されたルールになってしまったからだと感じています。

「この神が一番」
「このお経を唱えれば救われる」
「この教えに従わなければ不幸になる」

こうした言葉が、

どれだけ人の心に恐れや分断を生んできたでしょうか。

🔹祈り=「意の理」

祈りは「意の理」と書きます。

「意」は意識、「理」は万物に共通する法則。

「意識(意)と、宇宙の法則や自然の流れ()」を結びつけるもの。


宇宙は、意識を持ったエネルギーでできていて、
それは“感謝”や“愛”といった波動と深く繋がっています。

祈ることによって、その波動が世界に広がり、
自分の現実さえも穏やかに変えていくのです。

つまり、祈りとは宇宙の意識とつながる行為なのです。

宇宙は、すべて意識を持ったエネルギーでできています。


科学(量子力学)でも、私たちは「粒子であり波」であり、
観察されることで姿を変えるということが分かっています。

だからこそ、わたしたちが「ありがとう」と祈ると、
その波動が宇宙に響き、変化が起きるのです。

🔹命=「意の智(いのち)」

そして、命とは「意の智(いのち)」。


ここでの「智」は、ただの知識ではありません。


宇宙そのものが持つ、目には見えない深い“叡智”のこと。

私たちは、宇宙の智から生まれた存在。


この「智」は外から与えられるものではなく、
自分の内側にすでに宿っているのです。

答えは、いつも自分の中にある。
自分には自分を浄化する力がある。
自分には幸せを創り出す力がある。

🔹「この神様が一番正しい」は、真理ではない

・この神様だけを信じなければならない
・このお経を唱えれば極楽に行ける
・この教祖だけが特別な存在

こうした考え方は、人間が作り出したものであって、
宇宙の真理とはズレていると私は感じます。

🔹宗教ではなく、“本来の祈り”を取り戻すとき

「宗教の教えが真理であるなら、
人々の心の中に自然と根付いていくはず。」

私は、そう思っています。

だから、宗教が信者獲得に走ったり、

看板を掲げてまで政治に入ろうとするのは、やっぱり違和感があります。


真理であれば、人々が自然と選ぶはずですから。

🔹“祈りのない世界”が詐欺師を増やしている

詐欺がどんどん巧妙で悪質になっています。

詐欺だけでなく、「やったもん勝ち」、「ゴリ押し」

「非を認めない」という考えがどんどん強くなっています。

この原因の一つは、もしかしたら

「純粋な祈りの無い世界」になってしまったからかもしれません。

奪い取ることばかりしていると、

自分も奪い取られることになります。

なぜなら、自分自身が出している波動は

そのまま自分に戻ってくるからです。

わざわざカルマを持ち出さなくても、波動で説明できます。

人から奪い取らなくても、豊かで幸せになれるのに….。

宇宙のすべては「空(エネルギー)」でできていて無限なのですから。

奪い取る思想は、「有限(目に見える世界)」だけを見ているからです。

本当は、仏教僧侶に、こういうことを説明してもらいたいのです。

葬式仏教に成り下がってしまったのは本当に情けないと思います。

🔹祈りは、特別なものじゃない

私たちは、一人ひとりが「宇宙そのもの」から生まれた尊い存在です。


祈りのはじまりは、崇拝ではなく、感謝


まずは、今を生きている「自分」にありがとうを。


そして、そこから自然に溢れてくる「みんなへのありがとう」を。

「ありがとう」だけで、宇宙は動き始めます。


どうか、安心して。
あなたの祈りは、きっと、もう届いています。

🔹 おわりに

これからは、
神や宗教を「上」に置く時代ではなく、
自分と宇宙が対等に繋がっていることを思い出す時代

宗教という枠を超えて、真の祈りと、真の智を
それぞれの内側から取り戻していくことで

愛と調和の地球へと変わっていくはずです。

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