本来、仏教には病気を治す力があった

母は、自分の命をかけて子を産みます。


子どもはそこで愛を受け取り、

この世に生まれてきます。

母は尊い存在です。

そして、その母から生まれてきた私たちもまた、同じく尊い存在です。


私たちは「一人」ではなく「一柱(ひとはしら)」。

神様を数えるときに使う「一柱」です。


つまり、私たち一人ひとりが、すでに神聖な存在なのです。
決して、誰かのために自分を犠牲にする「人柱」であってはなりません。

宇宙エネルギーと仏教の本質

これまで、「宇宙エネルギーを使って末期癌を治せる」

というお話をしてきました。


実はこの「宇宙エネルギー」とは、

仏教でいう「仏」と同じものです。

仏教は、元々は「宇宙エネルギーの法則を説いた教え」と言えます。


苦しみの原因を分析し、

どうすれば本来の調和したエネルギーに戻れるのかを説いているのです。

宇宙エネルギーは特別なものではありません。


大宇宙に遍満していて、私たちが吸う空気の一息一息の中にも満ちています。

神道では、「神(かん)ながら」と言います。


そこには、難病をも癒す力が含まれています。

私たちの体そのものが宇宙エネルギーの結晶であり、
病気もまたエネルギーの一形態にすぎません。

病気とは、波動が歪んでいる状態です。


その歪んだ波動を「観て」、本来の調和に戻す。
これを象徴した存在が「観音様」なのです。


観音様とは、宇宙エネルギーの中に備わる「癒しと調和の働き」の象徴なのです。

仏教は「葬式のための教え」ではない

残念ながら、現代では仏教は葬儀や供養のイメージが強くなっています。


しかし本来の仏教は、今を幸せに生きるための「宇宙エネルギー活用法」でした。

宇宙エネルギーをうまく使うとは、
「自分を筒として、そのまま宇宙の流れを通すこと」です。

大きなエネルギーを通すには、心を整える必要があります。
そのために瞑想が用いられました。

ところが時代が進むにつれて、
「宇宙に委ねる」という本質から離れ、
「自分の力で法力を得る」という方向に傾いてしまったように思います。


難行・苦行を積み、自力で力を得ようとしたのです。

しかし、自力で得た力には限界があります。
身体に大きな負担をかけ、寿命を縮めることすらあります。

仏教の根本 ― 「空」と「縁起」

お釈迦さまが説いた「空(くう)」の教えは、

すべてがエネルギーであり、常に変化しているという真理です。


固定された「不治の病」というものは、本当は存在しません。

また「縁起」とは、あらゆる現象がつながり合い、影響し合っているという考え方。
病気も孤立したものではなく、心、環境、感情、エネルギーとのつながりの中で変化します。

だからこそ、怒りや不安、悲しみといった感情が長く続けば、
身体に不調となって現れることがあります。


逆に、感謝や安心、愛の感情を育むことで、
細胞は正常に戻ろうとする力を発揮します。

癌もまた「エネルギー」

現代医学では「癌は治らない」と思われがちですが、

仏教的な視点から見れば、それもまた「エネルギーの偏り」。


エネルギーは変化できるものです。

怒りや不安、絶望が癌を育てるなら、
感謝や安心、愛のエネルギーは細胞を整えます。

寿命が尽きていない限り、人には治す力がある。


それが仏教が本来教えていた「空」の智慧でもあります。

実際、余命宣告を受けても回復した方々が世界中にいます。


それは奇跡でも偶然でもなく、

宇宙の力を受け取ったからだと考えています。

宇宙力は無限、しかも負担がない

宇宙力(=仏の力)は、ただ自分が「筒」となり、
天からのエネルギーをそのまま受け取って通すだけです。

そこに特別な修行も儀式もいりません。


むしろ大切なのは「感謝」と「委ねる心」です。

宇宙エネルギーを一言で表すなら、それは「愛」です。


母が子に命を与えたのも愛。
私たちが今ここに生きているのも愛。
そして、病が癒えるのも愛の力です。

ですから、宇宙力を使うときには、

まず「生かされていること」に感謝すること。


感謝の波動は、私たちの心を一瞬で澄ませ、
エネルギーを通す筒をきれいにします。

まとめ

仏教の本来の姿は、「宇宙エネルギー=愛」を思い出し、それを生きること。
そして、その力によって心身を癒し、人生を調和へと戻すことでした。

私たちは一柱。


尊い存在として、宇宙エネルギーと共に生かされています。


だからこそ、どんな病や苦しみにあっても、
感謝とともに宇宙の愛を受け取り、心を整えることで、
生きる力は必ずよみがえっていきます。

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